つれづれ

かすり傷でもしぬと嘆く人のブログです

日記を読み返す夜のこと

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断片的な言葉にしかならない感情が、自分の中でぐわーって渦巻くことがある。大抵は、夜道をひとり帰っているとき。最近のこと、昔のことを思い返しながら、駅からの道をてくてく歩く。

そんな時は、日記を書きたいな、と思う。

 

書く頻度は減ったけれど、中学生の頃からずっと続けて、5冊目くらいになった日記帳。

久しぶりに開いて読んでみたら、そこには自分の感情と、心から生まれた言葉があふれていた。

仕事で書いている文章よりも、ついあたり触りのない表現をしてしまうブログ記事よりもずっと、言葉がいきいきしてた。

 

日記には心が動いたことしか書いてないから、表現のひとつひとつ、言葉の選び方ひとつにも、その時の感情が込められている。

感情をもって素直な言葉を書いたかどうかで、文章表現はこんなに変わるんだ、とはっとした。

自分で書いたものを好きって思うにはまだ程遠いけれど、日記については、自分の文章とその時の記憶に、何度でも心を揺さぶられる。

 

書いている過去の自分の感情を、とても愛おしく思った。

 

感情は、この世で最も尊いもののひとつだ、と思う。

嬉しい、悲しい、悔しい、泣きたい、死にたい、怖い、笑いたい、会いたい、愛おしい、言葉にできないしたくない感情ぜんぶ、目をそらさずにいたい。いっこだって、見て見ぬ振りはしたくない。

それくらい、感情は尊い

そう思った夜だった。

 

文章を書くとき、すべてに感情を織り込むことはできないのはわかってる。でも、感情に任せてペンを走らせるような、日記を書くときの熱量で書けたら。

そしたら、自分が書けるようになりたい文章に近づけるような気がした。