つれづれ

かすり傷でもしぬと嘆く人のブログです

受け入れること、時にたたかうこと

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「大人になるってことは、受け入れるようになることだ」

最近、特にそう思うようになったので、今回は現実を受け入れることについて書きます。

現実を受け入れるというのは、人は変わらないから自分が変わるしかない、ということでもあります。

 

昔を振り返ると、10代の頃は、世界は自分の思うようになると、少なからず思い込んでいました。お酒をやめられない、アルコール依存症の父親のことも。言葉で、思いで、変えられると思っていました。けど、人が人を変えることってできないんですよね。

アドラーの言葉に、

「馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」

というのがあります。こちらから働きかけることはできても、行動を起こすかどうかはその人次第。こちらの考えを強制することはできません。
当たり前のことだけど、この歳になってようやく、周りの人間は自分の思うようにはならないと学んだのでした。

「人を変えることはできない」というのは、家族関係をはじめ、全ての人間関係に通じることでもあります。
「全部わかりあえる」とか「自分の話なら受け入れてもらえるはず」というのは、相手を自分の一部のように捉えているだけの思い込みです。

そんな思い込みを捨てて、厳しくても現実を受け入れることで初めて、他の人を変えられないなら自分が変わるしかないとか、そんなことに気がつけます。そして初めて前に進むことができるのだと思います。

 

わたしはこれを、父親との関係のなかで学びました。アルコール依存症は精神の病気なので、相手を説得するとか変えるとか、そんな簡単にいくわけないんです。根気強く病気を理解し、接し方や接するタイミングなどを意識して付き合っていくもので。

「父は、わたしの思うようにはならない。俗に言う家族への愛とか家族の支えの問題じゃない」
「あの人が変わらないなら、わたしが変わるしかない」

そう気がついてから、少し生きやすくなりました。

 

アルコール依存症について余談になりますが、家族愛とか家族の支えって、おそらく必要だとは思うけど、それがあったからって、本人が変われる保証はないんです。わたし達が苦しんで心を病むくらいなら、わたし達家族にだって、その人から逃げる自由があっていい。家族にとって心休まる居場所が、絶対、どこかにあっていい。そう思います。

 

話がそれましたが、そんな風にして、否が応でも現実を受け入れるようになってきたからこそ、大なり小なり現実を変えようともがいている人は、すごく格好よく見えます。

そういう人に触れると、辛いこと悲しいこと沢山起こるけど、わたしもたたかおう、って思えます。この現実でいいのか、自分の気持ちに正直に向き合おうって。

 

生きるために現実を受け入れつつも、時にはたたかう、そんな格好いい大人になりたいです。
やるせない現実のなかでもがいたりとか、ちょっと格好悪いくらいくらいが、格好いいのかもしれないです。