いちこのブログ

社会人になりました。日常生活のことを書きつらねています。

家族という呪縛の話

親戚だって、家族だってわかりあえない

完全に、身の上話的なものです。

家族関係に悩んでるひとには読んでもらえたら嬉しいです。

※深夜に勢いで書いたものだったので、少し書き直しました

 

 

「あなたはいいよね、幸せだよね」

父親から離れて妹と暮らしながらも、倒れた父のために実家に帰ってきた母親に向かって、親戚が言い放った言葉。自己中心的で、冷たくて鋭くて、人を傷つける言葉でした。

小さい頃は我が子のように可愛がってくれた親戚なのに。環境も立場も人も、昔とは変わったんだ、と思いました。

うわべだけの関係。あからさまに冷たくしたりはしないけど、本心が出ないようにどうにか取り繕っているような。疑心暗鬼と言われればそれまでかもしれないけど、そうなってしまったと感じました。

その人はその人なりに辛いのだし、わたしに対して「もっとこうしてくれれば」と厭な気持ちを抱いているのも想像できます。

でも、それぞれの辛さがあって比べることなんてできないのにと、悲しい気持ちになりました。

 

自分の方が辛いと思う気持ちはわかるけれど、それを皮肉のように口にするのは、相手を思う想像力に欠けているような気がします。

特に親戚に対してわたしが思ってるのは、
あなたには、わたしの気持ちは分からない」ということ。

逆もしかり。わたしも、あなたの辛さ、気持ち全てをわかることはできない。

 

家族とか親戚とか、身近で特別な人たちに対しては「わたしのことをわかってほしい」、「わかりあえるものだ」って思いたくなってしまうものです。でもそんなの幻想だって、今では思います。

 

想像することまではできても、気持ちを全部わかるなんてことは、到底できません。立場も考え方も、誰一人同じ人はいないから。

 

だからこそ、不幸比べをして言う「あなたは幸せだよね」という言葉は、ひどく自己中心的に思えました。そして、言葉は、ときに何より鋭く人の心を傷つけるんだ、ということを思い出しました。

 

ドラマ「カルテット」が解いてくれた家族の呪縛

少し話が逸れるのだけど、 家族間でも「わからない」「わかりあえない」ことを認めるのは、苦しまず軽やかに生きるために必要なことだと思います。

 

わたしは父とも母とも、良いとは言い難い関係だったけれど、

「家族とはいえ別の人間だから、完全にはわかりあえないんだ」

と気がついてから、気持ちが楽になりました。

 

少し前のドラマ「カルテット」で、わたしがすごく好きな回があります。

 

それは、すずめちゃん(満島ひかり)が確執の深い父親の死に際に、病院に行くかすごく悩んで苦しんで、最終的には父に会いに行かなかった、という回。

 

病院前のバス停では降りられず、降りられても病院には行けずにぼーっとしてたすずめちゃん。真紀さん(松たか子)に父親の死を告げられ「病院行こう」という言葉をかけられるにも、家族という呪縛に苦しんでいて。

「駄目かな。家族だから、行かなきゃ駄目かな。行かなきゃ」

それを聞いた真紀さんの言葉は強くて、優しかった。

「すずめちゃん、軽井沢帰ろう。病院行かなくていいよ」「みんなのとこに帰ろう」

この言葉に、父の死に目にも亡くなった際にも会いに行かないという決断に、どれほどの人が救われただろうと思うのです。

 

家族だからって好きでいなくていいし、わかりあえなくていいし、許せなくてもいい。

 

親の死に目に会えてよかったとか、やっぱり父は自分のことを愛してたとか、ドラマ定番ともいえる家族愛の感動ストーリーに持っていかなかったことが、すごく嬉しかった。世の中とか普通とかそういうものに対する抵抗みたいで。

 

家族関係はひとそれぞれだし、白黒じゃなくて、グレーでいいんだと、思いました。

 

家族にとらわれずに生きる

「家族だからわかりあえる」とか「家族だから愛さなければいけない」とか、そういう呪縛にとらわれないで生きたい、と思います。

 

家族だって別の人間だし、わかりあえないし、許せないこともある。

 

正解なんてなくて自分で決めるしかないから、親とのことは後悔しないように考えたい。自分だけじゃなくてこれを読んでる誰かにも、後悔しないような選択をして生きてほしい、だってなにより、自分の人生なのだから。

 

母やソーシャルワーカーの方に言われた

「あなたは自分の人生を生きて」

という言葉が、ずっと心の何処かにあります。

 

家族にも、家族は仲良いものでしょみたいな世の中にもとらわれたくない。

自由に、自分の人生を生きる。

 

 

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