つれづれ

かすり傷でもしぬと嘆く人のブログです

書くことについて


ここ最近、自分のなかに見ないふりをしてる思いがあって、どこにも置く場所がないので、今日はそれについて書きます。

この記事は誰のためでもなく、自分のためにおいておきます。いつかきっと恥ずかしく思いながら見返すんだろうなって、覚悟のうえです。

1ヶ月、1年、10年経ったら、きっといまの気持ちも忘れてしまっているだろうから、せめて、そのときに思い出せるように。

 

わたしはへたっぴでも書くことがすきで、誰かに伝えたくて、伝えられようになりたいと思っている。人生を通してやりたいことのひとつ。

とはいえ経験もなければ実力もないので、有名なライターさんやブロガーさん、活躍してる友達とか先輩の文章を読むたびにうらやましく思ったり、劣等感を感じたり。「わたしには無理だ」と思い込むことで、書くことから逃げようとしてた。でも、自分も憧れの人たちのように、読んでくれた人の心に届く文章が書きたいという気持ちは、思ったよりも強かった。やりたいことから、逃げられなかった。

身近な人たちの編集分野での活躍を見たりしていたら、自分だって、と憧れの気持ちと悔しい思いが湧いてきて、書くことへの思いに気がついたのだった。

そんな気持ちも見て見ぬふりして日々の業務に追われているうち、季節はどんどん過ぎて、夏も終わってしまった。気がついたら、わたしだけ置いてかれてしまう。この文章を書きながら、老いて枯れてしまう、という言葉が思い浮かんだよ。
わたしの周りにいる人たちは、自分の夢に向かってどんどん前へと進んでしまう。それでいてわたしは、右も左もわからずなんとなく進んで、寄り道して、遠回りして。。
今まではやりたいことがわからずに遠回りすることが多かったけど、これからそんな風に歳はとりたくない、と思った。

 

書けないし、書いたところでみっともない文章になってしまうし、人と比べてしまうし、だから書きたくないとも思うけど、けど、けど、それでも、書く。どんなに目を背けても、うまく伝えられないもどかしさは、自分が納得する文章を書けるようになることでしか払拭できないから。

恥ずかしいのもみっともないのも劣等感も、全部ひっくるめて自分を認めて、そこからがスタート地点なんだな、と気がついた。今まで、わたしはスタート地点にすら立ててなかったよ。

 

スタート地点に経ったいま、あとはゴールに向けて突っ走る。いっぱいインプットするし、いっぱいアウトプットもする。ブログも書く。 

 

誰かのためになる記事をいっぱい書きたいけれど、こんな風に自分の思うことをばーって書きたい気持ちのときもあって、ブログってむずかしい。

いつも元気なんて無理だもん、、でも新しいワンピでテンションあげて、一生無双モードでがんばるよ。なんてね。

 

笑ったり、落ち込んだり、なにくそともがいたり忙しいわたしですが、今後ともお付き合いいただければ幸いです。